L'histoire

僕が好きだった人たちについて書きます。僕の勝手な片思いなのだけど。

「王さまの耳はロバの耳」ではないのだ

 

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<ダレイオス1世> 

 アケメネス朝ペルシャ3代目の王様。アケメネス朝は、古代オリエントに広大な領土を有したのだけれど、その原動力となったのは<馬>だった。アケメネス朝が発祥したとされるイラン高原のバーサル地方では、古代の最良・最高種とされるネサイオン馬が育成され、乗馬はペルシャ人にとって教育の中心的課題だったそうだ。ダレイオス一世自身、みずからが優秀な騎兵であることを第一に誇りに思っていた。

 

 そもそも「馬に乗る」という発想が、人類の歴史でどのように生まれたのか?というのも興味あるところだけど、この点はまた別の機会に調べるとして、ともかくペルシャ人はこの乗馬の技術によって、移動と通信に優れ、周辺国を次々と征服したのだった。

 

 征服といっても、アケメネス朝の支配は、かなり寛大で、貢納と軍役さえ果たせば、あとは好きにしていいよ、という感じだった。それまでの伝統や言語を被征服国に許容した。宗教にも寛容だった。ペルシャ人の宗教はゾロアスター教。アケメネス朝が成立した紀元前6世紀には、ほとんどのペルシャ人がこの宗教を信奉していたと言われる。しかし宗教についても自分たちは自分たち、よそはよそみたいな態度が窺える。たとえばペルシャが新バビロニアを滅ぼしたとき、バビロニアに捕らえられていたヘブライ人(バビロン捕囚)を解放してあげた。自由の身になったヘブライ人たちは、何を置いても、まずユダヤ教の神殿を建設したのだけど、ペルシャ側は「別にいいよ」という感じ。この緩さも、帝国拡大の要因だったろう。

 

 広い領土に目を行き届かせるために、ダレイオス一世は国土を20の州に分け、各州に総督を置いた。その総督が勝手な政治をして民衆を苦しめることがないよう、「王の目」という監視役を設けた。これは公然と監査や検査をする機関。さらに密偵として「王の耳」を送り込み、秘密裏に総督を監視するシステムも作られていた。これはなかなか怖いシステムである。総督は、知らず知らず「王の耳」によって評価付けされていたのである。

 

 この「王の耳」のノウハウは、現代のミシュランガイドの格付けに受け継がれている。

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