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L'histoire

僕が好きだった人たちについて書きます。僕の勝手な片思いなのだけど。

暗示

 

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ペリクレス> 

 サラミス海戦でペルシャを破ったアテナイは、ギリシアのポリスの中で頭一つ抜けたみたいだ。また攻めて来るかもしれないペルシャ対策に、ギリシア諸ポリスは、デロス同盟を結んだ。盟主となったのはもちろんアテナイで、アテナイは、ますます勢いを増す。

 

 さらに国内的には、貴族支配の体制から民衆が実権をつかみ取る。フランス革命の話ではない、紀元前5世紀の出来事なのだ。これも海戦に参加した下層市民の主張が通ったということだから、サラミス海戦は、国内・国外ともに、とても意義深いものだった。

 

 紀元前460年頃には、アテナイに民会が成立する。

 

 18歳以上の男子市民なら財産に関係なく民会に参加することができた。女子には参政権はなく、奴隷は市民とカウントされない。奴隷は全人口30万人のうち11万人を占めていた。

 

 驚くのは、政府の公職がくじ引きで選ばれていたということだ。平等ということでは徹底しているけど(あくまで男子市民の範囲で)、適性や能力はどうでもよかったのだろうか?僕が、くじ引きで裁判官の職に当たったなら、あいつとあいつは死刑だな、と恣意的に個人的恨みで裁いたりもするだろう・・・

 

 ペリクレスが政治の表舞台に現れたのは、このころだった。

 

 ペリクレスは軍人で、15年連続将軍職に就いていた。公職のなかでも将軍だけは、くじ引きではなく選挙で選ばれていたのだ。戦争ばかりは、伊達や酔狂ではすまされない。

 

 さらに彼は、演説がとても上手かった。格調の高いペリクレスの演説は、現代の欧米の議会にも影響を与えているそう。ペリクレスは、民主制アテナイのなかでリーダー的存在となっていった。

 

 有名なパルテノン神殿が完成したのも、ペリクレス時代だった。彼はデロス同盟で集めていた軍資金をアテナイの建設資金等に流用した。国内的には喜ばれるだろうけど、スパルタをはじめとする他のポリスはもちろん面白くない。そしてついにアテナイ派とスパルタ派が戦うペロポネソス戦争が勃発する。

 

 受験生のころ、変わり者の家庭教師が、「ペリクレス時代のペロポネソス戦争」という早口言葉を、ペペロンチーノを食べる際には「いただきます」の代わりに3回言うというゲームを考案し、僕はチャレンジさせられることとなった。なぜペペロンチーノかというと、「ぺ」が2つ重なっているので、ペリクレスの「ぺ」と、ペロポネソスの「ぺ」が連想されやすいとのことだった。しかしこの作戦は、見事に失敗した。ペペロンチーノが献立に出てくるということが、受験本番まで一度もなかったのだ。

 

 いや、今から思えば、失敗とは言えないかもしれない・・・ペペロンチーノがテーブルに並ばない都度、僕はほくそ笑みながら「また作戦失敗だな」とつぶやいていたのだ。つまり毎食ごとに僕の脳裏にはペペロンチーノが浮かんでいて、それとセットで「ペリクレス時代のペロポネソス戦争」という早口言葉も、毎回思い出されていたのだろう。その証拠に、受験から何年も経った今でも、どうでもいいこのフレーズを、僕は、憶えているのである。 

 

 ペリクレスは、この戦争のさなか戦闘ではなく疫病で死んでしまった。天然痘が流行し、アテナイ市内では30万人のうち10万人以上が死んだという。

 

 ペリクレス亡き後、アテナイにまともなリーダーシップを取れる政治家は現れず、ついにアテナイはスパルタに敗れてしまう。

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