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L'histoire

僕が好きだった人たちについて書きます。僕の勝手な片思いなのだけど。

最期のことば

 

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マリー・アントワネット> 

 辞世の句とか、最期のことばというのは、その人の人生を総括するもの・・・と考えるのは、ちょっとロマンテックに過ぎるかも知れない。

 

 僕の祖父は、僕が、「今日はデイケアの人が来る日だよ」と伝えに行くと、「じゃあ、髭でも剃るか」と立ち上がり、その数分後、浴室で倒れてそのまま逝ってしまった。「髭でも剃るか」という、このごく日常のフレーズに、なにか象徴的なものを見出すことも出来るかもしれないけれど、かなり無理やりという気がする。

 

 この祖父には弟がいて、その人はすでに数年前に亡くなっている。この人の辞世のことばは、「アンパン」であった。病院で家族に看取られて逝ったそうだけど、その深遠な意味を理解する者はいなかった。好物だったか?・・・はて?という短いディスカッションの後、せめてアンパンを柩に入れてあげよう、と、まとまったらしい。

 

 マリー・アントワネットは、フランス中の憎しみを買って、ギロチン刑に処された、あまりにも有名な王妃。パリ市民にとってこの公開処刑は、最高の見世物だったことだろう。アントワネット妃の贅沢は、たしかに目に余るものがあったようだし、そのことに彼女自身、自覚的ではなかった。それにしても、彼女一人がパリ市民の憎しみをこれほど一身に受けるというのは、僕には、かなり理不尽な気がする。流言飛語による風評被害も多分にあったろうと思う。

 

 オーストリア・ハプスブルク家というお金持ちの出自と、彼女が輿入れした時期のヴェルサイユ宮殿の華やかな風潮が、いかにも自然にマリー・アントワネットという女性を作り出したという印象もある。

 

 ギロチン台に上ったマリー・アントワネットは、死刑執行人の足を踏んでしまった。「ごめんあそばせ。でもわざとじゃありませんのよ」・・・これが生前マリー・アントワネットが口にした最期のことばとなったそう。

 

 蜂の一刺しともならないけれど、アントワネットはわざと執行人の足を踏んだのだろうか?これについては、僕はNOだと思っている。浪費家で世間知らずだとしても、マリーアントワネットには母マリア・テレジアから受け継いだ威厳が染み付いていると感じるからだ。死に臨んで執行人の足をわざと踏むという行動は、その威厳とは相容れないと思う。

 

 ところで池田理代子氏の『ベルサイユのばら』の「ばら」とは、オスカル・フランソワのことだろうと、僕は長年思い込んでいたのだけれど、あの物語の主人公はあくまでマリー・アントワネットなのだと作者自身が語っている。

 

 肖像画は、ばらの花を手にしてるね。

 

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