L'histoire

僕が好きだった人たちについて書きます。僕の勝手な片思いなのだけど。

断捨離

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ディオゲネス

 

 今夏、これから本格的な暑さが始まるというころ、僕の部屋のエアコンが壊れてしまった。取り換えは、もちろん業者に任せるとして、僕にとっての一大事業は、取り換えのための下準備だった。エアコンの周辺を空けなければならないので、ベッドをどかしたり、そこから派生して、本や雑誌を整理したり、結果、部屋中を大掃除する羽目になった。

 

 大掃除で知らされたことは、長いあいだ、僕は大量のゴミと暮らしていたということだ。「断捨離」という言葉が、一時流行っていたけれど、僕は生まれて初めて、「捨てる」という行為の楽しさを知った。身軽になっていく爽快さ、心が整理されるような充実感さえも「捨てる」という単純ないとなみで味わえるというのは、不思議でもある。

 

 ディオゲネスは、生活に必要最低限のものを頭陀袋に入れて、道端の酒樽で暮らしていた。ソクラテスの孫弟子で「徳」を重んじ、心の平安のためには財産や家族でさえ邪魔なものだと考えたらしい。執着を捨てるということなら、バラモン仏教の修行に似ている気もするが、僕がディオゲネスを好きなのは、彼が快楽に奔放だったというところ。

 

 快楽に奔放だったという言い方は、研究者なんかからは反論されるかもしれないけれど、僕がそう感じたのは、ギリシア一の高級娼婦フリュネの客だったという逸話による。アフロディーテとも称えられたフリュネは、客への請求額を自分の言い値で決めていた。気に入らない男には、城も買えるほどの法外な金を要求したりもした。そんなフリュネがディオゲネスを客としてとるときは、金を請求しなかったというのだ。彼女が、それほどにディオゲネスの人格を尊敬していたというエピソード。

 

 皮肉屋で、屁理屈ならプラトンにさえ負けないというほどの弁舌家でもあったディオゲネス。ある日、手掬いで水を飲んでいた少年を見て、激しく敗北感を味わったそう。というのも、ディオゲネスの頭陀袋の中には、水飲み用のカップが入っていたのだ。急いでカップを捨てたという。

 

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